バイリンガルに育てるヒント
Posted on 1月 17, 2011 by DS21.info
インターネット上のさまざまな記事を読むと、
結果としてダウン症のある人は母国語を理解しています。
では、母国語以外の外国語はどうなのでしょうか?
世界で初めてダウン症のある人として4年制大学を卒業した岩元綾さんは英語のほかフランス語も学習しています。
岩元さんは特別な才能があったのかもしれませんが、
過去に紹介した記事において東欧生まれで養子となった子供達は、
アメリカへ渡り、ロシア語以外に英語を学習しなければなりませんでした。
生きていくために外国語が必要だったのです。
そもそもダウン症のある人にとって第二外国語の習得は容易なのでしょうか?困難なのでしょうか?
こんな記事がありました。
トルコ出身の父親がダウン症の娘をトルコ語と英語のバイリンガルにすることができました。
イギリスとアメリカを中心に180カ国以上へダウン症のある人への教育的支援や調査を行っている「Down Syndrome Online」の記事です。
母国語を理解してから、第二外国語を学習していくという例です。
写真の女の子ナズリは10歳。
トルコ・イスタンブールにある普通学級に通い始めました。
その学校の授業の一部はアメリカ人によって行なわれます。ダウン症の子供はクラスでナズリだけです。
彼女のための特別支援の先生は一人いますが、
特別扱いはせず、みんなのクラスと統合されました。
現在、ナズリは三年生で、知的発達に問題はみられません。
彼女はバレエとピアノのレッスンを受け、
自宅では英語の文章を話そうと勉強しています。ナズリは学校に通い始める前、読み書きの方法を知っていました。
彼女が3歳半のころ、読むことをはじめたのです。彼女の訓練は自宅でフラッシュカード、マカトンサイン、Portageからはじめました。
もちろん最初はトルコ語をメインにしたものです。
彼女が3歳半になると、短い文を使うことができるようになりました。
次に(フラッシュカードなどの)絵を使わずに練習を開始。第二外国語については、ナズリがイギリス人女性の教師も在籍する私立小学校に入ったことがきっかけです。
彼女はここで生の英語を耳にするようになりました。
学校に通いながら以前と同じようにフラッシュカードなどを使い英語を教わりました(バックリー教授法「Buckley method」)。
現在、彼女は英語で文章をつくることができます。
また、独立系女性サイト「Bella Online」の記事ではこう書かれています。
ここではバイリンガル家族で育つ子供の例です。
二カ国語を話す多くの家族では、ダウン症に関わらず他の発達障害の子供も自宅で多言語学習の機会に恵まれます。
福祉スタッフや単一言語の両親、言語療法士、教育関係者などは子供たちが同時に二カ国語を習得できることに驚きます。
子供たちにとって、一つを習得して、二つ目の言語へ進む訳ではありません。
二カ国の文化や言語の中で二カ国語を同時に習得していくのです。何年も前に取材した家族は英語が第二外国語の移民で、両親は息子と娘には自国語を話さず英語だけを話すと言っていました。
親は二カ国語を学ぶことによる子供たちの混乱や困難を避け、早く英語のコミュニティに馴染んでもらいたかったそうです。(中略)
(様々な取材を通じて)子供にとって第二外国語を学び始めるのに遅いということはありませんでした。
(後略)
また、質問だけを載せますが、こんな地域もあり、興味深いですね。
こちらも「Down Syndrome Online」の記事です。
[質問]
7歳の子どもがダウン症です。
地元の学校で第二外国語としてゲール語(古代アイルランド語)の勉強がはじまりました。
自宅で使っている言語は英語なのですが、(ダウン症のある子供の)第二外国語の学習方法をご存知の方はいませんでしょうか。
■参考URL
・岩元綾さんがシンガポールで行なった英語のスピーチ(原文)