養子に迎えた理由

Posted on 12月 20, 2010 by

 

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休暇中のバックマン夫妻(タリーとキャシー)は、奇跡を祝っています。

マリーナはウクライナ出身、5歳の孤児。
バックマン夫妻が養子にしない場合、彼女は一生を(ウクライナの)医療施設で過ごすことになったでしょう。

18ヵ月におよぶ養子縁組の事務手続きを経てバックマン夫妻はマリーナをアメリカへ連れて帰りました。
(夫妻は手続きのうち6週間をウクライナで過ごしています。)

マリーナはダウン症です。
キャシー・バックマンが世界的な養子縁組サイト「Reeces Rainbow(リースの虹)」で最初に彼女を見たとき、天使のような表情が印象に残りました。
マリーナが障害を抱えているという事実は問題ではありませんでした。
むしろ、ダウン症だから養子にしたいと考えました。

2008年3月、バックマン夫妻の娘ケーリンは6歳で亡くなりました。
ケーリンはダウン症、急性リンパ性白血病でした。
白血病との戦いは長期化し、地元の組織や企業からも資金を援助してもらいました。

「私たちは15,000ドル近くを持っていたのですが、資金が足りませんでした。友人たちは多額の資金をいろいろな場所から集めてくれました。残りはマリーナの支援者と「Reece’s Rainbow(リースの虹)」から5,000ドルの補助をいただきました。」

バックマン夫妻は息子エバン(5歳)の親でもあります。
エバンは養子に迎えるマリーナが2,3ヶ月年上でも、自分が「兄」だと主張します。
母キャシー・バックマンは言います。
「親が養子縁組の手続きに時間がかかりましたが、息子に受け入れてもらうことも重要なプロセスの一つでした。息子は新しい妹が無事に我が家に来れるよう、毎晩お祈りしていましたよ。」
「当初、息子は兄になる心の準備はできていませんでした。一度でも障害のある兄弟がいた経験があれば、(兄弟を)受け入れる視点は親とは異なっていると思います。」
「亡くなった姉ケーリンを息子は今でも愛しています。マリーナを養子に迎える手続きの最後の月(18ヵ月)、息子はマリーナを我が家に迎えたいと言ってきました。」

キャシー・バックマンは続けます。
「ダウン症の子供を養子にするという決断は軽く決めたわけではありません。」
「マリーナは亡くなったケーリンの代わりではありません。私はマリーナを助けたかったのです。」
マリーナを養子に迎える前、バックマン夫妻は何カ月も彼女に新しい家族が見つかることを願っていました。
「ケーリンが残していった思い出はたくさんありますが、マリーナを養子にすることは別の話です。」

約5年前、州のコーディネーターであるリサ・アンダーソンは、初めてバックマン夫妻に会いました。
コーディネーターのミッションは、障害をもつ子供たちの家族を支援するネットワークを提供することです。

アンダーソンは言います。
「バックマン夫妻が気持ちを固めたら、もう誰も止められません。」
「バックマン夫妻は娘ケーリンと息子エバンにとって素晴らしい親でした。ケーリンは親に無償の愛を教えたのでしょう。迎えられたマリーナはきっと幸せになりますよ。」

しかし、マリーナには新しい親が想像していなかった他の障害があります。
それはマリーナはロシア語しか話せないことです。
息子と同じ幼稚園に通うために、マリーナは6ヶ月間、英語の研修を受けます。
キャシー・バックマンは言います
「言語の問題は小さなハードルですよ。」
彼女は続けます。
「子供が亡くなったからといって命は途絶えません。つまり…子供を失って心を痛めることは無いのです。」
「娘は私たちよりも早く人生の旅を終わらせて、天国へいったのだと思います。いつの日か、そこで私たちは再会するでしょう。」

ニュースソース:Greer family welcomes adoptee with open arms

 




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