ダウン博士とビクトリア朝の劇場
Posted on 11月 19, 2014 by DS21.info
ダウン症候群の名前の由来は1866年にイギリスの眼科医ジョン・ラングドン・ハイドン・ダウン博士が論文『知的障がい者の人種分類の観察(Observations on the Ethnic Classification of Idiots)』でダウン症候群の存在を発表したためです。
名前の由来は知っていても「DOWN」という言葉の意味を良く思っていない人は世界中に多くいます。
私の周囲の親どうしの飲み会の席では、「たられば」的に発表者がパラダイスさんであればパラダイス症候群、レインボウであればレインボウ症候群、現実的に存在する名前ではゴールドさんでゴールド症候群、ブラックマンさんでブラックマン症候群……、いろいろな妄想をしては、その場合はどのように社会的に受け止められたのだろう、などと取りとめのない話をします。
さて、当のダウン博士はどんな方だったのでしょう。
15世紀ごろからヨーロッパでは精神・知的障がい者の隔離が行われ、イギリスでは『1777年には収容施設の要件を定めた Madhouse法が、1845年には治療を目的とする収容施設を全地域に設置することを定めたLunacy法が制定され、隔離施設の管理が国によって行なわれていた』(※1)そうです。
そんな時代背景のなか、1868年、ダウン博士は当時のイギリスで「精神薄弱児(Backward and Feeble-minded Children) 」と呼ばれていた子供たちを収容する為の個人病院を開きます。この時、自宅兼病院の収容人数はまだ19名でした。
その後、1879年、医師である彼の息子も参加し、規模を大きくしてノーマンズフィールド病院を開きます。
1890年代には収容人数が200名になりました。。
ダウン博士も医師の息子も当時「蒙古型」と呼ばれるダウン症のある人にとりわけ関心をもっていたそうです。
また、病院の設備の一つとしてつくられたのがノーマンズフィールド・シアター。
1877年に着工され、1879年に完成しました。
このビクトリア朝の小さな劇場は現在、一般にも開放され、イギリスの有名な旅行サービスLastminute.comの「ロンドンで行くべき100の名所」の一つに選ばれるほどの歴史的価値のある観光名所になりました。
劇場や建物はラングドン・ダウン中央トラストの所有でしたが、2010年、イギリスのダウン症協会に寄付され、現在はダウン症協会が建物を運営、プロモーションも行っています。
2011年、学習障がいの社会的理解やダウン博士の功績を展示するラングドン・ダウン・ミュージアムがオープン。
2012年、ノーマンズフィールド・シアターが一般公開されました。
ノーマンズフィールド・シアターはイギリスのTVドラマ『名探偵ポワロ』(原題:Agatha Christie’s Poirot)、映画『ドリアン・グレイ』(Dorian Gray)、TVドラマ『ダウントン・アビー 華麗なる英国貴族の館』(Downton Abbey)でも舞台として使われています。
ダウン博士が最初に発表した場所が後のダウン症協会に受けつがれるとは大変興味深いですね。
ノーマンズフィールド・シアターの紹介動画
情報ソース:
John Langdon Down – Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Langdon_Down
Langdon Down Museum of Learning Disability – Home
http://www.langdondownmuseum.org.uk/
Londonist Discovers Normansfield Hospital Entertainment Hall | Londonist
http://londonist.com/2009/10/londonist_discovers_normansfield_ho.php
The Langdon Down Centre – Normansfield Theatre
http://langdondowncentre.org.uk/centre-victorian-theatre/
Normansfield Theatre – Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Normansfield_Theatre
※1
出生前検査について今あらためて考えるPart2(渡部 麻衣子) :babycom birth
http://www.babycom.gr.jp/birth/kensa3.html