ロックバンド・ボンジョビを追いかけて

Posted on 2月 9, 2011 by

 

母スーザン・ミットンはロックバンド「ボンジョビ」のことなら何でも知っています。
彼女はボンジョビを家族の一員だと思っています。
ボンジョビの音楽は彼女の息子ジャスティンにとってサウンドトラックなのです。

ボンジョビがデビューした1980年代前半からダウン症のジャスティン・ミットンは熱狂的なファンです。
39歳の彼はボンジョビのように髪を伸ばしませんが、ボンジョビの歌を毎日歌っています。
毎日歌ってるんですか?と聞くと、
ちょっとためらいながら彼は「そうです」と答えました。

現在、彼はiPodで音楽を聴いています。
彼はときどき歌うことをやめ、歌詞の意味を探求します。

ミットン家では、彼のことを「ベギー」と呼んでいます。
最近、彼はアイダホ州ボイジーに住む姉の家で好きなボンジョビについて真剣に語ることが多いです。
その様子を見て、誰かがボンジョビの音楽をかけてくれます。

彼は明るい顔、笑顔で心から音楽を楽しんでいます。
リビングから聞こえてくる“Wanted Dead or Alive”を口ずさみながら、彼は言います。
「いつもこの音楽を聴くと、心が安らぐんですよ。」
彼はエアギターも見せてくれました。

絶賛してくれる家族を前に彼は言います。
「今はリッチー・サンボラの真似だよ。」
「一緒にバンドをやってる気分。」

ジャスティンは2011年2月で40歳になります。
家族は彼の長年の夢であるボンジョビに会うことを実現したいと思っています。

家族はソルトレイクシティで行われるライブチケットを購入し、
ジャスティンのためにバックステージパスが手に入ることを願っていました。

そして、その努力は現実になろうとしています。
彼の姉コックスにボンジョビの兄弟「マット・ボンジョビ」から電話がかかってきたのです。
コンサート前にジョン・ボンジョビが会いたいと言っているという内容でした。
この電話に母のスーザンは涙しました。
「興奮状態で信じらませんでした。」
「私の姉は、このことをクジに当たったようだと言いましたが、
クジにあたるよりもすごいことですよ。だってジョン・ボンジョビですよ!」

ジャスティン・ミットンはツインフォールズの南西、キャッスルフォード近くの農場で育ちました。
小さい頃、彼はマイクを握って妹をつかまえてはボンジョヴィのコンサートを真似していました。
母スーザンは言います。
「その小さい頃の体験がなければ、息子は音楽好きにはならなかったと思います。」

ジャスティンの音楽に対する情熱は父親ゆずりだと言います。
父テリーは80年代ロックミュージックの大ファンでした。
ジャスティンはボンジョビ以外にエアロスミス、カーズ、ブレイキング・ベンジャミン、ニッケルバックが好きでした。

ジャスティンのボンジョビへの情熱が、彼の読解能力を伸ばしたと母は言います。
彼は音楽誌「Metal Edge」や他の雑誌を熱心に読み、いつもベッドの傍らに雑誌を置いていました。

彼は1曲に固執せず、アルバム全体を楽しんでいたと姉は言っています。

ある医者は息子のジャスティンが歩いたり話すことはできないだろうと言われ母のスーザンは感情的になりました。
その医者はジャスティンが12歳まで生きられないとも言いました。

ジャスティンの出産直後、医者はいきなり子供の為の施設を紹介すると言ってきました。
母スーザンは言います。
「私はショックを受け、気持ちが乱れました。私と息子が一緒に生きていく選択肢が無いように思えたのです。」
彼女は高校を中退し結婚し、息子の面倒を見ることにしました。
「息子はこんなにかわいい赤ちゃんだったんです。私は息子なしの生活を想像することができませんでした。」

その後、ジャスティンは特別支援学校へ通い、20歳で卒業しました。
彼はまわりから時々からかわれましたが、小さなコミュニティに守られながら成長しました。
ジャスティンを知らない人は慎重に付き合っていたと姉コックスは言います。
「人々は彼と話すことを怖がっていましたね。」

母スーザンは回想します。
ジャスティンは10代になると他の兄弟は車の運転ができるのに自分は運転ができないことに気がつきました。
「高校に通うある日、息子は私に”ママ、質問してもいい?”と聞いてきたのです。」
「息子はこう言いました。”ママ、僕がダウン症でごめんね。僕がダウン症で悲しんだことある?”」
「私は答えました。”大丈夫よ。私はあなたがダウン症で悲しんだことなんて一度もないわ。”」

その時、ジャスティンの両親はともに27歳、二人は離婚していました。
ジャスティンは母と父の家を行き来していました。
母スーザンは言います。
「私たちは犬の散歩に出かけたり、映画やゲームをして過ごしました。」

ジャスティンは週に2、3回、違う場所に住む姉コックスを呼び出しました。
コックスの人生は8月の花嫁のように忙しくストレスだらけでした。
彼女は回想します。
「ジャスティンは私に”ゆっくり休んで、幸せになったほうがいいよ。結婚して幸せになってほしい”と言ってくれました。」

コックスと彼女の夫は、ソルトレークシティで開かれるボンジョビのコンサートへ家族を連れて行こうと考えています。
そのコンサートはジャスティンにとって3回目。
最初は1980年代、彼が10代のころに行き、2回目は2003年のソルトレークシティです。
最近、ジャスティンは母親に言いました。
「ボンジョビに会ったら、僕は本当にボンジョビが大好きだと言うよ。だけどママ、それって(ボンジョビに)気持ち悪がられないかな?」

ニュースソース:Music lover is livin’ on a prayer of meeting Bon Jovi

 




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