シャルル・ド・ゴールの娘

Posted on 1月 19, 2011 by

 

「シャルル・ド・ゴール」と聞いて皆さんは何を想像しますか?
空港、バラ、広場、橋、空母…。
フランスには「シャルル・ド・ゴール」にちなんだ名前が多くあります。

そんなフランス国民からも愛される初代大統領シャルル・ド・ゴール。
日本語版のWikipediaには家族の欄に以下のように記載されています。

1921年4月7日にイヴォンヌ・ヴァンドルーと結婚し、長男フィリップ、長女エリザベート、次女アンヌの3人の子をもうけた。フィリップの名は、当時の上官で後に宿敵となったフィリップ・ペタン(ヴィシー政権の指導者)が名付け親となり、彼自身から譲り受けた名前である。次女アンヌは生まれつき知的障害を持っていたが、ド・ゴールはアンヌが20歳で亡くなるまで惜しみなく愛を注いで育てたと伝えられており、家族に対してすら内気であったド・ゴールが、唯一心を開けていた相手がアンヌであったと、親戚が揃って証言している。また、妻のイヴォンヌはアンヌの死をきっかけとしてアンヌ・ド・ゴール基金を設立し、恵まれない子どもたちへの援助を行った。

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この次女アンヌはダウン症でした。
英語版のWikipediaにはアンヌについて以下のように記載されています。

アンヌはダウン症として生まれましたが、家族から分離されることはありませんでした。

1945年10月、母のイヴォンヌは娘アンヌ(17歳)をミロン・ラ・シャペルにあるバート・クエール城へ連れて行きました。
その城に娘のためのプライベートな病院をつくったのです。

1948年2月2日、Colombey-les-Deux-Eglisesでアンヌ(20歳)はその生涯を閉じます。
娘の死に際して父のシャルル・ド・ゴールはこう言っています。
「たったいま娘はほかの人と同じになれた。」

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英雄と呼ばれたシャルル・ド・ゴールの言葉には、
一人の父親として娘への愛を感じます。

■参考URL
アンヌ・ド・ゴール基金

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