アメリカでダウン症のある子供を育てる日本人ママ(後篇)

Posted on 3月 23, 2011 by

 

前回に引き続き、ツイッターで知り合ったRさんのインタビューをお届けします。
Rさんは夫(アメリカ人)とダウン症のお子さん(4歳)をアメリカで育てています。
とても参考になると思いますので、ぜひお読みください。

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アメリカ人の旦那様はダウン症のお子様とどのような関わりをしていますか?

「おぎゃー」と産まれた瞬間からずーっと溺愛しています(笑)
彼は息子が産まれてすぐから今で言う「育メン」ぶりを発揮。
お手伝いではなく半分自分の責任として子育てに参加、
月~金は仕事なので彼は早朝担当、
週末は深夜担当とシフト制のようなルールを作り出来る限り私の負担を軽くすべく努力してくれました。
息子が4歳になった今でもそれは変わりません。(さすがにシフト制はやっていませんが)

すばらしい「育メン」ぶりですね!

ちょうど息子が産まれたころ、私達の次の赴任先の希望を提出する時期でした。
主人は海外赴任が好きでアメリカに帰りたがらなかったので、
始めはヨーロッパ方面の基地に希望を出す予定だったんですが、
息子がダウン症と告知を受けてからは「日本よりもアメリカの方が障害者に対するサポートも人々の接し方も良い」とアメリカへ帰る事を決断。
ダウン症専門の民間病院や設備の整った病院のある基地などを探し見つけたのがオハイオ州とテキサス州でそこに希望を出し、
彼の上司も希望の基地に行けるよう協力してくれました。

子供のために良い環境を、というのはどの国の方も同じなのですね。
しかし、世界を股にかけたご職業の旦那様がお子様のためにアメリカを選んだというのは興味深いです。
職場の方の反応はいかがでしたか?

彼の職場の人達もとても理解があり10日ほどの育児休暇だったのですが、
息子がダウン症であると伝えたところ
「仕事は気にしなくていいから落ち着くまで仕事に来なくてもいい。
今は子供と奥さんのサポートだけを考えろ」と配慮してくれたり、
生後2カ月になるかならないかの時に職場で息子の為にパーティーを開いてくれ、
多くの人が参加し「この子は神からの贈り物だ」「可愛い天使ちゃん」「君たちは神様に選ばれたんだよ」などと言いながら
皆が息子を抱いて誕生を祝ってくれました。
その時は本当に嬉しかったのを覚えています。

すてきなエピソードですね!日本、私のまわりでは考えられないです。

アメリカでも差別的な人はもちろん居るとは思います。
私が鈍感なのか、楽天家で気付かないか、今のところ会う方みなさん理解があり、親切で息子をとても可愛がってくれます。

お住まいになっている地域で、ダウン症の方は積極的に社会に進出していますか?

私がこちらでダウン症の方が働いているのを見かけたのは、
大手スーパーのショッピングカートの整理、ファーストフード店でトレイやテーブルの片づけです。

ダウン症のある人を生活のなかで接することが多いのですね。

ダウン症の会の代表の方に聞いたところ、
個人のスキルによって付ける仕事が異なるので一概にこのような仕事とは言い切れないそうです。
また地域により就職や自立を助ける施設がありそこで訓練を受ける事も可能だそうです。

積極的に企業が雇用する姿勢に好感が持てます。

障害者の方が3~4人集り一軒家に住みサポート付きではありますが自立した生活をおくれるよう支援する機関などもあります。
先日もダウン症の会で嬉しそうに「タコベル(ファーストフード店)で働くことになった!」と報告していた女性がいました。

「タコベル」ですか!日本には無いですね。正確に言うと基地のなかにはあるみたいですが。

やはりスキル次第でファーストフード店でも職種は違ってくるとは思いますが、
障害者だからといって決して裏方に追いやってお客さんに接する事が無い仕事だけを与えてるわけではありません。
あくまでも個人のスキルで判断されているようです。

個人のスキルをみて適切な配置をするのはフェアですね。
私の子供はまだ小さくて、ちょっとわからないのですが、
日本ではスキルがあっても、ここまで、という限定的な仕事しか無いような気がします。

会の代表が「あなたの息子さんの世代が就職する頃にはもっと環境が良くなっているように私達ががんばらないと」
と言っていました。
日本に比べればかなり恵まれた環境ではありますが
やはり一般の方から比べるとまだまだ限られた範囲での就労なのだと思います。

皆さん、未来に対しては明るい希望を持ってるいるのですね。
大変貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
最後に日本の方へメッセージをお願いします。

息子がダウン症と診断された夜、夫が言っていました。
「物事には必ず理由がある。彼が僕らの所に産まれて来たのもきっと理由があるはずだ。」と。
その理由は解りませんが確実に言える事は、
彼が産まれてから私は成長し信じられないほど強くなりました。
家族の絆も今まで以上に強くなりました。
そして何より彼は周りの 人達を笑顔にしてくれます。

ダウン症の会で出会った35歳の息子さんを持つお母さんが言っていました。
「息子が産まれた年にダウン症と言う言葉が出来たのよ。
出産した病院では「お子さんはダウン症ですがどうなさいますか?」と声をかけられた。」と。
障害に対し比較的理解があるこのアメリカでさえ35年前にはそうだったのです。
そしてその親御さん達が差別や偏見に負けず声を発し続け今のアメリカの障害者へ対する対応があるのです。
今まで子供嫌い、更に障害者への理解もまったく無かった私が今では正反対の立場にいます。
私の様な者がその思いを周りに向けて発する事で世の中は少しずつでも変わっていくと信じています。
皆さんもどんどん外に向けて発信していきましょう。

私達家族は幸運にも住む国を選択する事ができアメリカを選びました。
将来私達のような家族が「日本は障害者に対する理解が優れているから日本に住もう」
と決断できるような国になって欲しいと心から願っています。

ありがとうございました。

 




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