アメリカでダウン症のある子供を育てる日本人ママ(前篇)

Posted on 3月 22, 2011 by

 

ツイッターで知り合ったRさん。
Rさんは夫(アメリカ人)とダウン症のお子さん(4歳)をアメリカで育てています。
Rさんにご協力いただき、インタビューをさせてもらいました。
日本とは違うアメリカの現状。
とても参考になると思いますので、ぜひお読みください。

お子様のご出産はアメリカですか?

私の夫はアメリカ空軍で働いており、
息子を妊娠・出産した時はまだ日本の基地に勤務しておりましたので出産は日本の産婦人科でした。
もちろん基地の中にも病院はあり、
そこでの出産も可能でしたが、初めての出産でしたので日本の産婦人科を選びました。

日本の病院でのご出産だったのですね。
お子様のDNA検査のときはいかがでしたか?

息子がダウン症の疑いがあると医師から告げられたのは出産してから2日目の朝でした。
朝早く医師が訪ねて来て「体調はどうですか?」と言うような会話から始まり
「息子さんがもしかしたらダウン症かもしれないので検査をしたい。
ダウン症はご存じですか?ダウン症だと心臓に問題があったり合併症を伴う事も多いので
その場合早めに詳しい検査が必要となる。
お子さんは心音を聞く限りでは何も問題は無いが、
いくつか気になる点があるので念のため検査をしたい。
私の知り合いでもダウン症の疑いがある子供を出産し、
検査をしたがそのお子さんはそうでなかった。
だからあくまでも念の為ですのであまり心配しないように」そのような感じだ ったと思います。

私も同じようなことを言われました。
私の場合、検査結果は2週間後でした。

わたしは1週間後検査の結果が出たと電話があり病院へ向かいました。
医師から「検査の結果息子さんは21トリソミー型ダウン症だと判明しました。
今のところ健康面での問題はありませんが早めに施設の整ったところで精密な検査をしてください。」と言われ、
その後何を根拠にダウン症と診断されたのか説明を受けました。

私も同じような説明を受けましたが、説明どころではないですよね。
頭が真っ白で、何も入ってこない。

はい、その後はあまりのショックでよく覚えていないのですが
「ダウン症は知的障害を伴う事が多いが基本的には普通のお子さんと一緒です。
ここのナースの1人もダウン症の子がいますが普通の家庭と変わらず楽しくやっていますよ。」
そんな感じの事を言われ「何か質問はありますか?」と聞かれたような気がします。
質問はと言われてもダウン症をよく理解していなかったので何が分からないのかもよく分からない、
しかも、このショック状態でそれを考えろといわれても無理な話です。

そうですよね。よくわかります。

椅子にも座らず今まで気丈に振舞っていた夫が椅子に座り涙ぐみ
「ダウン症は治せるんですか?」と質問しました。
今考えると馬鹿げた質問ですがそれほど何の知識も無かったと言う事です。

私も同じような質問をしたことを覚えています。
まず、「障害」を受け入れる前に、治せるのではないかという反応は当然だと思いますよ。

今思えばそこの病院にはダウン症のお子さんが居る看護婦さんがいらっしゃったのですから
その方と話す機会を与えて貰えていれば少し不安も和らいだのかもしれませんが
残念ながらそう言う事はありませんでした。

旦那様の基地へ戻られてからはいかがでしたか?

米軍の病院での医師の対応はまずダウン症についてどこまで知っているかを聞かれ、
ダウン症について簡単ですが(日本の医師よりは詳しく)説明を受けました。
その後、基地にいるダウン症のある子供の数と、どのようにその子達が暮らしているかなどを
具体的なエピソードを交え話てくれました。

不安な状況のなか、具体的に身近な例を話してくれるとありがたいですね。

その後米海軍で運営している早期療育プログ ラムの方に連絡を取り
その人達を家に訪問させると言う事でした。
その医師は「ダウン症だからといって特別な事は何もない。
ダウン症には知的障害が伴うがそれも個人差がある。
大学を卒業している人もいるし、
筋力が弱いと言ってもパラリンピックに出場してメダルを取っている人もいて
その辺の運動不足の人よりよっぽど体力 がありますよ。
息子さんはとてもラッキーなお子さんで心臓病や合併症も何もなく健康。
ただ、感染症などに弱いから普通のお子さんより病院に通う事が多くなるくらいです。
という事は僕はこのかわいい赤ちゃんの顔を見る機会が増えるんだね。僕はラッキーだな。」
と言ってくれました。

素晴らしいお医者さんですね。

そうですね。
ダウン症と告知を受けてからまだ日が浅く暗闇のど真ん中に居た私にとって
息子に会えるのがラッキーだと言ってくれた医師の言葉は嬉しかったのを覚えています。

療育はどのように開始されましたか?

その後渡米するまでの10カ月間、
早期療養プラグラムの方(言語療法士と理学療法士の2名)が1週間に1回我が家に来て
どのように息子に働きかければいいか、
どのようなおもちゃが効果的かなど教えてもらいました。
来るたびに療育に関する資料をいただいたり、
毎回必ず息子の事を褒めて下さって精神面でもかなり助けられました。

言語療法士のかたも当初からサポートされるのですね。
私の息子は地元の療育施設に2週間に1度、通っていますが、まだ理学療法士のサポートのみです。
日本人の方のサポートはありましたか?

もちろん日本の保健婦さんも定期的に家に来て基本的な子育ての知識など教えてくれました。
その保健婦さんはとても明るい方で話していると元気が出てくるような方でした。
そして来る度に息子の事もそうですが私の事をよくがんばっていると褒めてくれるんです。
その言葉がどれほど力になった事か。とても感謝しています。

そうですよね。初期の段階では、どんな言葉も心に染み入りますよね。
10ヶ月が経過して、渡米したときのことを教えてください。

渡米してからは病院側が「ヘルプ・ミー・グロー」という
発達の遅れを持つ子供達と親をサポートする機関に連絡を取って
そこからいろいろなサービスを受ける事になりました。
それとは別に必要なセラピーのリクエストもしてもらい
セラピーを受ける事になりました。

アメリカではサポート機関がきめ細やかに親子をサポートしてくれる印象があります。

「ヘルプ・ミー・グロー」のサービスは定期的な家庭訪問で
手先や全身の運動を促すのに効果的な遊び方を教えてくれたり、
離乳食の食べさせ方などいろいろな情報を提供し手助けしてくれます。
必要に応じセラピストも同行してくれます。

「ヘルプ・ミー・グロー」は発達障害全般の方のサポートだと思いますが、
いわゆる地域のダウン症の会に参加されたのはいつ頃ですか?

1歳になってからです。
「ヘルプ・ミー・グロー」からの連絡で
「マイアミ・バリー・ダウン・シンドローム・アソシエーション」と言うダウン症の会から連絡がきました。
そして資料などを送って貰いそれ以後その会に参加しています。

3歳になるまでの施設や幼稚園との関わりを教えてください。

1歳半ごろからは学校の一角にある施設に週1回親子で参加するクラスに通い、
2歳からは同じ敷地にある幼稚園に通う下準備をさせるようなクラスに1年間
(これは息子1人で週2回2時間半)
そして3歳からは家の近所の幼稚園にスクールバスで通っています。

日本とアメリカの対応を比べるといかがでしょうか?

日本はこちらから情報を求めて動かないと何の情報もサービスも受けられない、
アメリカ(州や市によって異なるが)は病院側から必要な機関に連絡し、
そちらから情報やサービスを提供しもらえるので親と子供が孤立しないですむような気がします。

後篇へつづく

 




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